坂本 九
1941年(昭和16年) 12月10日
坂本九(本名:大島九[ひさし])九人兄姉の末っ子として川崎市(現在の川崎区大島2丁目)で誕生。 1944年(昭和19年) 母の実家のある、茨城県笠間へ疎開。 1948年(昭和23年) 疎開先の笠間から川崎市南町に戻る。 4月 川崎市立川崎小学校に入学。 1954年(昭和29年) 4月 日本大学横浜学園中学に入学。 1957年(昭和32年) 4月 日本大学横浜学園高校へ進学。 1958年(昭和33年) 8月 ロカビリー歌手として「第3回日劇ウエスタンカーニバル」で初舞台。 1959年(昭和34年) 3月 フジテレビ「ザ・ヒット・パレード」で、ロカビリー歌手としては初めてとなるテレビ出演をする。 6月 ビクターレコードより「題名のない唄だけど」を発売。 1960年(昭和35年) 8月 東芝レコードより「悲しき60才(ムスターファ)/恋のホームタウン」でレコードデビュー。 1961年(昭和36年) 4月 映画「悲しき60才」(大映:寺島久監督:森山加代子/ジェリー藤尾)で映画初主演。 7月 映画「アワモリ君売り出す」(東宝:古沢憲吾監督:森山加代子/ジェリー藤尾) 9月 NHK「夢であいましょう」で歌った「上を向いて歩こう」が大ヒット。 10月 映画「アワモリ君乾杯!」(東宝:古沢憲吾監督:森山加代子/ジェリー藤尾) 12月 映画「アワモリ君西へ行く」(東宝:古沢憲吾監督:森山加代子/ジェリー藤尾) 12月 NHK「第12回紅白歌合戦」に初出場。その後2度の白組司会者を含め12回連続出場。 1962年(昭和37年) 3月 映画「上を向いて歩こう」(日活:舛田利雄監督:吉永小百合/浜田光夫) 7月 映画「九ちゃん音頭」(松竹:市村泰一監督:渡辺トモコ/森山加代子) 11月 映画「ひとりぼっちの二人だが」(日活:舛田利雄監督:吉永小百合/高橋英樹) 12月 映画「パラキンと九ちゃん申し訳ない野郎たち」(松竹:市村泰一監督:ダニー飯田とパラダイスキング) 1963年(昭和38年) 1月 映画「九ちゃんの大当たりさかさま仁義」(東映:渡辺祐介監督:ジェリー藤尾/三田佳子) 6月 「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」と改題されアメリカビルボード誌(3週連続)、キャッシュ・ボックス誌(4週連続) 共にシングルチャート第1位を獲得。世界中でミリオン・ヒットとなる。 6月 舞台「見上げてごらん夜の星を」(サンケイホール) 8月 アメリカの人気テレビ番組「スチーブ・アレン・ショー」に出演。 8月 映画「九ちゃん刀を抜いて」(東映:マキノ雅弘監督:南田洋子/九重佑三子) 11月 映画「見上げてごらん夜の星を」(松竹:番匠義彰監督:榊ひろみ/菅原文太) 1964年(昭和39年) 5月 「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」のセールス百万枚突破で、全米レコード協会から贈られたゴールデン・レコード の贈呈式(ホテルオークラ)が開かれる。 7月 舞台「努力しないで出世する方法」(新宿コマ劇場) 10月 「万事お金」(東宝:松林宗恵監督:星由里子/浜美枝) 12月 映画「幸せなら手をたたこう」(大映:湯浅憲明監督:宇津井健/姿美千子) 1965年(昭和40年) 6月27日 母・いく、逝去(享年59歳)。 7月 映画「調子のいい奴 いたずらの天才」(マナセプロ/松竹:二本松嘉瑞監督:谷幹一/堺駿二) 11月 ワンマンバラエティー、日本テレビ「九ちゃん!」スタート。 12月 映画「ハイウェイの王様」(マナセプロ/松竹:市村泰一監督:香山美子/谷幹一) 1966年(昭和41年) 8月 映画「坊ちゃん」(松竹:市村泰一監督:加賀まりこ/古賀政男) 12月 坂本九後援会が発足。 1967年(昭和42年) 1月 映画「九ちゃんのでっかい夢」(松竹:山田洋次監督:倍賞千恵子/竹脇無我) 8月 日本万国博覧会政府出展懇談会委員に吉永小百合さんと選ばれ、世界各国でプロモーション活動を行う。 11月 初のリサイタル「芸人その9年目(渋谷公会堂)を開催。 1968年(昭和43年) 9月 連続ドラマ、TBS「フジ三太郎」スタート。 10月 「第3回ブラジルポピュラー音楽祭」に「さよならさよなら」で出場し、7位に入賞。 1969年(昭和44年) 10月13日 父・寛[ゆたか]、逝去(享年77歳)。 1970年(昭和45年) 7月 舞台「坂本九特別公演“わが歌声の高ければ/みんなの九ちゃん”(梅田コマ劇場) 11月 「第1回ヤマハ世界歌謡祭」(日本武道館)の総合司会。(1984年の第15回まで) 1971年(昭和46年) 6月 舞台「若手喜劇旗揚げ公演“明治一代男/みんなの九ちゃん”(梅田コマ劇場) 8月 「第1回日本の祭り」(神宮外苑)の総合司会。(1984年の第14回まで) 12月8日 柏木由紀子と結婚(茨城県・笠間稲荷神社) 1972年(昭和47年) 7月 舞台「若手喜劇第2回公演“ごんたくれ太鼓/九ちゃん夏の踊り”」(梅田コマ劇場) 1973年(昭和48年) 4月 連続人形劇、NHK「新里見八犬伝」語り手スタート。 10月7日 長女・花子、誕生。 1974年(昭和49年) 6月 舞台「笑いの王様エノケン・ロッパ物語」(新宿コマ劇場) 1976年(昭和51年) 4月 TBS「キッチンパトロール」の司会スタート。(1985年まで) 10月 札幌テレビ「ふれあい広場・サンデー九」の司会スタート。(1985年まで) 10月 映画「泣きながら笑う日」(泣きながら笑う日制作委員会:松山善三監督:大谷直子/緒方拳) 11月10日 次女・舞子、誕生。 1977年(昭和52年) 5月 舞台「君はいい人・チャーリーブラウン」(ヤクルトホール) 1978年(昭和53年) 9月9日 「坂本九芸能生活20周年リサイタル“グラフィティ・オブ・キュー”」(中野サンプラザ)を開催。その後全国ツアー。 1979年(昭和54年) 4月 フジテレビ「スター千一夜」の司会スタート。 9月9日 「坂本九リサイタル“689再会”」(中野サンプラザ)を開催。その後全国ツアー。 1980年(昭和55年) 7月 連続ドラマ日本テレビ「名もなく貧しく美しく」スタート。 9月9日 「坂本九リサイタル」(中野サンプラザ)を開催。 1981年(昭和56年) 3月 日本テレビ「スター誕生!」の司会スタート。 1984年(昭和59年) 2月 舞台「坂本九2月特別公演“雪だるまが笑った/1・2・3and九”」(名鉄ホール) 1985年(昭和60年) 6月 古賀政男記念音楽大賞(NHKホール)に「懐かしきlove-song」で出場し、入賞。 8月12日 日航ジャンボ機墜落事故で永眠(享年43歳)。 |
【柏木由紀子】
1964年、高校生のとき「明日の夢があふれている」で 映画デビュー。同時に「若い真珠」で歌手としてもスタ ートを切る。以後TVドラマや映画で活躍。現在は女優 業のほか、家族愛、夫婦愛などのテーマで講演にも取 り組んでいる。
【大島花子】
2001年にライブデビュー。2003年にメジャーからCDデ ビューを果たす。その後、ラジオパーソナリティなど活動を続けな がら、ライブ活動を続けている。
【舞坂ゆき子】
1996~2002年に宝塚歌劇団に在籍し、数々の舞台を 踏む。退団後は、舞台・テレビなどで活躍。現在は、ドッグセラピストとしての資格を生かした分野でも、積極 的に活動を行っている。
1964年、高校生のとき「明日の夢があふれている」で 映画デビュー。同時に「若い真珠」で歌手としてもスタ ートを切る。以後TVドラマや映画で活躍。現在は女優 業のほか、家族愛、夫婦愛などのテーマで講演にも取 り組んでいる。
【大島花子】
2001年にライブデビュー。2003年にメジャーからCDデ ビューを果たす。その後、ラジオパーソナリティなど活動を続けな がら、ライブ活動を続けている。
【舞坂ゆき子】
1996~2002年に宝塚歌劇団に在籍し、数々の舞台を 踏む。退団後は、舞台・テレビなどで活躍。現在は、ドッグセラピストとしての資格を生かした分野でも、積極 的に活動を行っている。
ママ エ セフィーユ
坂本九の妻で女優の柏木由紀子。 長女で歌手の大島花子、次女で女優の舞坂ゆき子。
母と娘の二人で結成された「ママエセフィーユ」は「母と娘達」と言う意味を持ち、家族の 温かさにあふれた音楽活動を2004年より開始。
坂本九の声を交えKYU'S FAMILYで作詞・作曲した楽曲を含むファーストミニアルバム 「心の瞳」を2004年にリリース。
アルバムタイトルにもなった坂本九の最後のレコーディン グ曲「心の瞳」は現在、全国の中学生に合唱曲として広く歌われている。
2008年には日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」 に坂本九ファミリーとして出演し注目を集める。
坂本九も映像や声で参加する家族4人のファミリー コンサートは2006年12月からクリスマスの恒例となり、 毎年「心あたたまる」コンサートを行っている。
母と娘の二人で結成された「ママエセフィーユ」は「母と娘達」と言う意味を持ち、家族の 温かさにあふれた音楽活動を2004年より開始。
坂本九の声を交えKYU'S FAMILYで作詞・作曲した楽曲を含むファーストミニアルバム 「心の瞳」を2004年にリリース。
アルバムタイトルにもなった坂本九の最後のレコーディン グ曲「心の瞳」は現在、全国の中学生に合唱曲として広く歌われている。
2008年には日本テレビ「誰も知らない泣ける歌」 に坂本九ファミリーとして出演し注目を集める。
坂本九も映像や声で参加する家族4人のファミリー コンサートは2006年12月からクリスマスの恒例となり、 毎年「心あたたまる」コンサートを行っている。
Copyright © KYU SAKAMOTO MUSIC OFFICE. All Right Reserved.